星野源と米津玄師の違い

昨日、また、日記途切れましたね。

朝から晩まで仕事です。

(´Д`)ウボァ
お前ホントにクリスチャンかよ、と自分に問う。


で、本日は熱が出ました。

過労ちゃん登場。

ドクターストップにて、今日一日はゆったりすることにする。
現場の皆様、ホントすみません。

米津玄師という人

ふと、米津玄師のオフィシャルブログを読んでて思ったこと。

スランプ : 米津玄師 公式ブログ
何年も音楽を作り続けてきたけど、頻繁にその作り方がわからなくなる。なんか違うんだよなあと首を傾げながら以前と同じ手順で作ってみても、いよいよどこにもしっくりいくポイントが見つからずに、結局作りかけの曲をぐちゃぐちゃに丸めて破棄する。何かを変えなければいけ

今日のわちの日記はブログの内容とは全く関係ないんだけど(汗)

米津玄師の肩書って、自称では「アーティスト」なんだよね。
細分化すると、「音楽家」と「イラストレーター」。
ミュージシャンではないところに注目。

この人にとって「音楽」はあくまでも自己表現手段のひとつであって、これだけがこの人の自己表現手段ではないのね。
ブログ読んでる限りでは、文才もあると思う。
少なくともわちは、文章に惹かれる自分を感じました。

わちが知ってる「米津玄師の音楽の世界」って、まだまだハチ成分が多めだが、気に入ってはいる。
何か伝わってくるもんがあるな~という心地よさを持ってます。
ファンになればもっと貪欲にその良さを吸収しようと思うんだろうけど、残念ながら今はそこまでではないので。

「アート」と言うと絵画の方向に行っちゃうけどさ

米津玄師は、音楽以外にも「イラスト」という自己表現の出力先を選んでる人。
なので、肩書は「アーティスト」なんでしょうな。
音楽もイラストも「芸術」のひとつなので、そこはひとくくりにできる、と。

星野源という人

この人のブログ読んでると、どうしても浮かんでくるのが、星野源。
ミュージシャンで役者でエッセイスト(とわちは捉えてる)と、3つの軸を持った人で、この人も肩書は「アーティスト」でいいんじゃねーかと。

星野源は、米津玄師よりはわちのキモに刺さる曲を生み出す人で、どっかでルーツが重なってる部分があるんだと思うんですよ。
で、役者としても好きです。「地獄でなぜ悪い」は映画も楽しめたし、曲はホントすげぇと思う。

星野源 – 地獄でなぜ悪い【MV & Trailer】/ Gen Hoshino – WHY DON'T YOU PLAY IN HELL?

ハードロックじゃなくても心から叫んでる感が伝わってきました。
ジャンルはポップス寄りだが、芯は超パンクだよ、この曲。

星野源も、自己表現の出力先が複数で、しかもまんべんなく放出してくるところを気に入ってます。

役者としても魅力的。誰にも気づかれない通行人からタイトルロールまで張っちゃう幅の広さ。
オーラの出し入れがうまいんですよ、この人は。
共演者を殺すことも生かすこともできる芝居ができる役者さんはマジ貴重。
テレビでの活躍が多いけれど、舞台見たいと思わせる芝居をする人です。
自分がアーリーアダプターじゃないのが悔やまれる。

文筆業は、エッセイ中心…なのか?
そこまで詳しくなくてすんません(;´Д`)
たぶんフィクションはショートストーリーぐらいだったと記憶してます。
「働く男」「蘇る変態」ぐらいしか手が出せてないんだよなー。

彼のエッセイは、読んでて「音楽だ」と思える内容で、
音楽を聴いてると、歌詞はエッセイのような描写を感じつつ曲はケレン味たっぷりだったり芝居がかってる表現に思わず笑っちゃったりして、
芝居はなんかもう憑依型じゃないはずなのに憑依されたような感覚があって。

…語りだすと長いな(汗)
ともあれ、気に入っているミュージシャンであり役者さんでありエッセイストさんです。

米津玄師と星野源は似てるけれど違う

米津玄師と星野源は、どちらも音楽以外の活動場所を持ったという点において、共通してます。
じゃあ、違いってなんじゃろ?

もちろんジャンルもあるけれど、わちが曲を聴いた限りでは

米津玄師 → 自分の音楽を追求してるけれど自己主張という感覚が薄い
星野源 → 自己主張の塊w

まぁ、わちの主観ですけどね。
なにかのインタビューで米津玄師は「ナマで伝わる部分を大切にしたい」と言ってた記憶があるので、ライブを見たことのないわちには彼の表現がちゃんと伝わりきってないかもしれないんですが。

ライブ大事よ。伝わる情報量が全然違う。

星野源の音楽にはナマじゃなくても伝わってくるナニカがあるのです。
こちらもまだライブ参戦したことないけれど、ぶん殴られるような衝撃があるんじゃないかと怖くなるくらい、リリースされる曲には、なんだかよくわからないインパクトがある。
(そうでもない曲もあるw)

わちにとって星野源の音楽は「明日死んじゃってもおかしくない」と思えるものがあるのです。
「似て非」と思えるのは、そこが大きいじゃねーかなーと、ふと思いました。

わちに刺さるミュージシャン

そう考えると、わちがのめり込む音楽を生み出す人の条件として「自己表現の手段に音楽を選んだ人」ってのが当てはまるなーと気づいた次第。
聖飢魔IIや岡崎体育はその典型だと思う。
音楽以外は笑って消費できる部分で、彼らの価値の貴重さは、音楽で伝わってくるのですよ。

「消費」ではなく、聴く人の人生に「爪痕を残す」音楽が好きなのだなぁ。

…と、長々と持論展開。
いやぁ、休みの醍醐味(寝ろ)

雪の上の足跡

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