オトのタマシイ

ライブが近くなると、わちの体内に潜むアンテナが恐ろしく敏感になる瞬間があって。
本番一週間前になると、その感覚が体全体を支配するので、飯が食えなかったり、逆に大量に飯食ったりとかしちゃうんだよな。

本番の時はいつも、パンッパンにタマシイを吹き込んだ音をステージから客席に落とすというか、ステージから津波を起こすように客席に向けて溢れ出させるというか流し込むというか、そんな濁流みたいなもんを産み出すことをイメージしてる。

ただ「濁流」と言っても中身はさまざまで。
文字通り濁ってる時もあれば、澄んでいながらも圧倒的な物量で押し寄せる時もあって。
後者の時は大体リハでも似た感触を掴んでたりもする。

今回はどうだろう?
当日の「波」を予測するのが本番一週間前、ってことかな。


タマシイにはチカラがあって。
「言霊」というものに近いのかもしれん。
祈りではなくとも祈りに限りなく近く、
強制ではなくとも強制的なもの。

「◯◯せざるを得ない」という奇蹟を、客席全員と共有できるのが、ライブ。


普段は「本業・アマチュアミュージシャンです!」と名乗るようになったが、プロアマの違いを「金稼いでるか否か」で切り分けてるだけ。

ミュージシャンとコンポーザーの違いは、演奏で稼いでるか演奏ネタを作って稼いでるかという切り分けだけ。

そういう面ではわちはとても中途半端な立ち位置にいる。
プレイヤーでもなく、コンポーザーでもない。
そして、プレイヤーであり、コンポーザー・アレンジャーでもある。

わちの性根は「サウンドクリエイター」なんだと思う。
プレイヤーとして、コンポーザー・アレンジャーとして、サウンドディレクターとしてのタマシイが、わちの性根にどっかと胡座をかき、どんなことがあろうとぶれない柱としてわちを支えているのだ。


だから、どんなシチュエーションであれ、H.G.K.のライブステージは「鉄板」と言われるのかもしれん。
勝ち負けではないけれど、少なくともH.G.K.を形成するピースの1つであるわちは常に、客席に自分のタマシイを曝け出し、共有する準備がある。

それを、「覚悟」と言うのだ。

雪の上の足跡

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