「死んでもいい」のスタンス

日記には書いてなかったし、身近な人は恐らく気づいているであろーと思って書くことも言うこともなかったんですが、わちの根っこには常に「いつ死んでもいいヽ(´▽`)ノ」という気持ちがあります。

いや、「死にたい。゚(゚´Д`゚)゚。」ってコトではないんですよ?w
俯瞰で己を見ると、「こいつはわちの今の視点で見ると、生きてる価値なし」と常に感じてるからなのです。

逆に言えば、てめえの過去に対する自覚も、覚悟もある、と。

『今の視点で』なので、そのうち「価値あり(`・ω・´)」となるかもしれんし、死にたいわけでもないし、わちが死ぬとH.G.K.はメンバー交代せにゃならんで、その手間をメンバーにかけるのがイヤってだけなのですが。

今回のガン宣告(正確に言えば宣告じゃなかったが)も、そんな感じでした。
もしガンのステージが先に進んでたとしても、たぶん「あー、やりたいことは山ほどあんのにわちにはいよいよ時間がねーぞ。人様より時間ねーのは不公平だな…」と凹んでたくらいだと思います。

実際、そう思って凹み、ごんやんを勘違いさせましたw
(わちが死ぬのを嫌がってると思ってたらしい)

「金が無いので出来ない」という絶対的なNGがない限り、わちはいつでも好きなことやってます。
作曲やバンド含め音楽しかり、仕事の中身しかり。

人間て、すげー現実的にてめえの死ぬコトと向き合うと、真っ先に考えるのって、なんだろう?と痛切に考えました。「どーせ死ぬなら、自分の中にある音を全部絞り出してから」しか考えなかったもんなぁ。

わちが死んでも、一定期間は悲しんでくれる人がいて、
そのうち、そうそう頻繁に悲しむヒマもないから日常生活に戻り、
いつしか思い出す程度になる、と。

しかし、ゴールが決まってると考えてからの一週間、
わちはすげー頭良かったと思うw

リミットから逆算して作編曲やレコーディング、ライブのスケジュールを決めたり、レコーディングの予算を決めてそれに至るまでいくら足りないか考えて、レコーディング開始までに必要な額を稼ぎ出せてすぐ辞めても実質現場ではあまり支障がない仕事に就き(それが今の現場)、「人間の体でガタが来て一番困るのは足だ」と思って体重絞り始めたりw、てめえの葬式にかかる費用を市役所のサイトで調べて計算してEXCELにまとめたりwww

滑稽なぐらい頭の回転が早かったです。

結局うまくいったタスクは半分くらいで現在に至るのですが、現時点でクリアできたタスクが半分なのに、悪性腫瘍で余命1年だったとしても、このまま進めていけばリミットまでには何とかなりそうな状況だもんな。

人間の「欲」の力はすげーなと、痛感しました。

普段の生活の中で真っ先に消えたもんが「SNS」だったなー。
前回の日記にも書いたとおり、連絡は常時つく状態でいるのでSNSがなくなっても、特段困る事はないのです。

これだけ「オトモダチイナイ」とか「オトモダチ募集」とか言っといて、心の奥底では、切実な祈りではなかったんだなぁ、と。不届きもんですんません(´・ω・`)

そう考えると、今の生活は、GIGsが控えてる状態に近いですな。
GIGs前は、生きてる時間の全てがGIGsのステージのために存在するんで、それ以外のコトをほとんどやらんのですよ。本番一週間前からは、いっぱい食うとだるくなって何もできなくなるんで食うメシの量も半減するし。(前日~終演まではメシ食わないしw)

唯一違うのは、3食ちゃんと食ってるのと、メンバーに連絡をとってない事と、リハがない事ぐらいだなー。

「死んでもいい」=「死ぬ寸前にデカい後悔したくない」なのです。
そういう意味では、準備がスタートしてる現時点で死んでも、せいぜい後悔するのは「葬式の準備終わってなかた!∑(゚Д゚;;;」ぐらいかもw

その程度の覚悟はできました。
そう考えれば、わちの人生は、いい意味で折り返しを過ぎたのかもしれません。

生きてる時間はすべて、死ぬ準備。
わちはそう感じる経験が、今までありませんでした。
自ら望む「新しい事」は、何やってても、楽しいもんです。

雪の上の足跡

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