わちの人生にはこれまで3回、生きる道を問う瞬間がありました。
1回目は3歳、当時無理やり親にやらされてたクラシックバレエを辞め、ピアノを習うか親父に問われた帯広市の西五条の道の上、車の中。これが今に至るまで連綿と続く「音楽とじゃれる人生」への道に繋がりました。
2回目は18歳になる年、ドラマーとして食っていくと決め、5年付き合ってた当時の彼氏に別れを告げる決断をした時。それまでのわちは中学の国語の教師になろうとしていたので、相手はそりゃ仰天。「ある程度働いた後は結婚して家に入ってほしい(=専業主婦直行便)」と思ってたそうで。
3回目は29歳、横浜のスタジオGATEWAYでH.G.K.の前身である「本郷家は滅亡しました。つづけますか?(はい/いいえ)」の種が生まれた瞬間。なんとなく「あーこいつらとは相当長い付き合いになる」というのと同時に「わちこのバンドで、自分の中にもっぺん音楽の種をずっと育てていくことになる」と漠然と感じたんですよ。
上記3つの転機以外はクソみたいな人生を歩んでます(きっぱり)
そんなわちが、ついに4回目の転機を迎えてしまいました。
打首獄門同好会との出会いがきっかけです。
正確には「junkoさん還暦事件」がきっかけ。
それまでにも数回に渡り「わちはアタマが硬すぎる」「考え方が凝り固まってる」と感じてはいたんですが、junkoさんの生き方を見てさらにそれを強く感じたっつーか…
なんだ、好きに生きてよかったんか
…と思ったんですよ。
どんなルートを通っていようが何の問題もなく、逆に言えば、どんなルートでも「だいたいOK」だっつーことをやっと理解したという感触。
世界はわちなんぞが想定している枠を遥かに超え、とてもとても自由だった。
わちの想定なんぞは爪楊枝の先っちょほどにバチクソちっさいもんだった。
それを思い知りました。
というわけで
今後も好き勝手に生きるわ。
周りは迷惑ですけどね(´・ω・`)
とりあえず今はドラマーとして「打首獄門同好会のコピバンやってみたい」ってところでございます。
もちろんH.G.K.主軸ってのは1ミリもぶれませんが。
junkoさんのインタビュー記事はホント感銘を受けましたんで、大音量のライブハウスに行くのが苦手な方は記事読んでみてくだされ。
H.G.K.のライブ見に来てるような爆音平気人種の皆様は、記事を読むだけでなく打首さんのライブにも行きましょう。文字より音の方が情報量が桁違いに大きいので。