2012年。
震災翌年から去年までは「わちにできることはまず『忘れないこと』『よりそうこと』」と思い続けてきましたが、今年はちょっと違った気持ちで今日を迎えました。

昨年11月に開催された「東北GameSoundParty 第二章」の出演後、ごん・わか・Megの3バカで女川・石巻を巡ったんす。「孤独のグルメ聖地巡礼」という意味もあったけど、何よりも大きかったのは「観光者として被災地に行く」という目的でした。
本当なら「演者として石巻・気仙沼・宮古でライブをやる」というのがベストだったんだが、H.G.K.がやってる演目上の問題もあり、出演交渉がはかどらなくて断念したので、せめて仙台に行くからにゃ被災地へ赴こうと。

 

しこたま食べ買いお土産多すぎハマテラス

女川では聖地であるハマテラスで美味しい美味しいごはんを食べ、お茶をいただき、お土産美物にハナイキ荒くしながらも、ほっこりまったりした時間を過ごせました。

「孤独のグルメ」聖地・このりさんでめったくそうまいご飯を食べられたのはマジで感動しました。

 

リチャード館長がとても丁寧に案内してくれました。

石巻では石ノ森萬画館で007の靴下買ったりロボコン見つけて「なつかしい!」と叫んだり、復興まちづくり情報交流館(中央館)でリチャード館長から津波のデカさ生々しさを教えていただいて改めて背筋が凍ったり、急遽取った宿が復興支援や原発廃炉工事で全国から集った作業者さん向け簡易宿だったり…と、いろいろな経験をしました。

 

そこで一貫して感じたのが「復興は現在も進行中」ということ。生活が落ち着いたらOKなんて状態ではないということ。
正直言って「復興五輪」なんざおこがましい、原発廃炉が完了し、避難して「戻りたい」と思う人がすべて戻って生活が落ち着いてから言えと思っているくらい。

宿泊した簡易ホテルがここ。安くて快適ですた。

同時に「もっと早く来ればよかった」と後悔していました。
これは今までどこでも言葉にしていなかったけど、とても悔やんでいます。
わちが落とす金がなにかの役に立つかもしれない。
なら、どうしてもっと早く来なかった自分…と思っていたのです。
石巻に宿泊した晩、悔しくてベッドでじわっと泣きました。

部屋は狭いが綺麗で快適で安くて無線LAN完備

それがわちの「はじめての被災地訪問」体験です。

石巻日日新聞note「あの日を思い深く祈る 東日本大震災から」から拝借

石巻日日新聞note「あの日を思い深く祈る 東日本大震災から9年」から拝借

そして迎えた9回目の「震災当日」です。
わちはまだ、自分が地震を食らった日のことをわりとはっきりと覚えてます。
特に、地震を食らった新宿のビルから広域避難場所である明治神宮へ徒歩で避難する途中で、スタッフが携帯のワンセグで見せてくれた津波のニュースの映像は忘れられません。

その一方、わちは「自分(達)以外の理由で故郷を追われることになった」という経験をしています。
原因は天災でも人災でもなく、親が愚かだったということに過ぎんのだが、大好きな故郷から石を投げられるように追われた辛い経験です。

自分の意志とは関係なく環境が変わってしまうことに対して、仕方ないと考えて受け入れるしかないことがあるってことを、わちは身を以て経験しています。
そう考えている人が、被災された方の中にもいると思います。

だったら、新たなご縁を自分自身がちょびっとでも結ぶことで、少しでも復興の手伝いができればいいなと、今年は考えています。

今年も必ず行きます、石巻、女川。
そして気仙沼や宮古にも行きたいなぁ、観光者として。
現地を遊び、学び、美味しい思いをします。
金を落とし、何かしらのご縁を結びたいと思ってます。

そんな結び目を、これからずっと増やしていくつもりです。
そのうち「H.G.K.」としての結び目も増やしたいんだよなぁ…。
どっかライブ出演させてくれ!
チケットノルマさばける自信ないんで自腹になるけど!w

復興前と同じではなく、復興する前よりもさらに素敵な町づくりを目指されている皆様を「観光」という形で応援させて下さい。
過去より未来の方が遥かに素晴らしいという「東北の夢」をこれからもずっと応援させて下さい。

被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
新型コロナ騒動で日本中がバタついてますが、それでも一緒に生きましょう。
わちができることは、いつでも、なんなりと。

ボヤきを追いかける

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